足尾への旅(^^)!
Author: tsurugi
今日は海の日です。仕事がお休みのつるぎは、「よし、今日は足尾へ行ってみよう!」と思い、朝9時過ぎに車で出発しました(^^)!
足尾は「申武館」の発祥の地であり、かつては銅山で栄えた町です。今はその最盛期の面影が残るのみですが、「申武館」を生んだ歴史に思いを馳せます(^^)。
10時すぎに旧足尾精錬所ちかくの足尾ダムに到着。入場料大人200円で資料館を見学をしました。歴史では明治17年に始まった精錬所(銅を取り出す工程をする)から発生した有毒ガスにより周囲の山林が失われ、作物も育たなくなった結果、明治34年には村がひとつなくなってしまう悲しむべき歴史も紹介されていました。たった17年で環境が破壊され、村がなくなってしまうことに驚きました。現在、失われた山々の緑を回復させるため、植林が続いています。その結果、つるぎの小さい頃はまったくの緑がなかった山々に緑が少しずつ戻って来ていました(^^)。(今日も植林作業が行われています。)
銅親水公園(足尾ダム周辺)から見た旧足尾精錬所。
今も続く植林。(少しづつ緑も増えてきました。)
つづいて、足尾銅山観光に立ち寄りました。ここではトロッコ列車に乗って、銅山内部に入ることもできます。現在の申武館の初代館長・佐藤竹志先生はここから銅山内部に入って銅を掘っていたのだろうと思います。ついでに話をすると足尾の「申武館」があった場所はこの銅山観光よりも更に山奥の小滝地区にありました。そこでははじめ銅が取れていましたが、早々に取れなくなり1954年には閉鎖。その後は現在の銅山観光のある通洞抗(今の足尾町中心部付近)などで採掘されました。おそらく、その後小滝地区は衰退し、申武館もなくなったものと思われます。現在は草だけが生え、小滝という村があったという石碑と当時の周辺地図の看板があるのみです。
そう振り返ると申武館は大正期につくられ、そして小滝という村の衰退とともに昭和の半ばで一度歴史を終えました。きっと足尾でもその存在は忘れられていったことでしょう。その後も銅山は続きましたが昭和48年には閉山。・・・しかし、銅山を退職し宇都宮に移り住んだ佐藤竹志が少年時代に通った申武館の名を冠した道場を昭和55年に宇都宮に再建。そこから数えて今年(平成22年)は30周年という節目の年を迎えました。
足尾の盛衰の歴史を振り返りながら、「激動の歴史の足尾。しかし変わらないものもある。それは申武館に与えられた使命だ。かつての足尾でも、銅山労働者の子弟の育成に貢献した。宇都宮でも多くの門下生を育成し、社会で立派に活躍している。」そして、「宇都宮での30年の歴史を集大成した30周年記念大会をなんとか盛り上げていきたい!」そう思うつるぎなのでした(^^)!